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レイテ(USS Leyte, CV/CVA/CVS-32, AVT-10)は、アメリカ海軍のエセックス級航空母艦。艦名は太平洋戦争でのレイテ沖海戦に因む。その名を持つ艦としては3隻目。 ==艦歴== レイテはバージニア州ニューポート・ニューズのニューポート・ニューズ造船 & 乾ドック社で、「クラウン・ポイント ''Crown Point'' 」の艦名で1944年2月21日起工される。1945年5月8日に「レイテ」と改名され、1945年8月23日にジェームズ・M・ミード夫人によって命名、進水し1946年4月11日にヘンリー・F・マコムジー艦長の指揮下就役する。 レイテは1946年の秋に戦艦ウィスコンシン(''USS Wisconsin, BB-64'')と合流、南アメリカの西部海岸地帯を巡航した後11月18日からカリブ海で整調航海を行う。続く三年にわたってレイテは大西洋及びカリブ海での艦隊演習、海軍予備役兵の訓練、4度の地中海での作戦行動(1947年4月 - 6月、7月 - 11月、1949年9月 - 1950年1月、5月 - 8月)を行った。後者には8月13日のレバノン、ベイルートへの航空示威行動が含まれた。レイテは1950年8月24日にノーフォークに帰還し、二週間の準備の後朝鮮半島で国連軍を支援するため9月6日に極東へ向けて出航、第77機動部隊に合流する。 レイテは1950年10月8日に佐世保に到着し、戦闘の最終準備を行なった。1950年10月9日から1951年1月19日までレイテは艦載機と共に海上で92日間を過ごし、北朝鮮軍に対する3,933回の出撃を行った。艦載機のパイロットは11,000に及ぶ飛行時間を費やし、敵基地、供給および輸送路、通信施設への打撃を与えた。レイテはオーバーホールのため2月25日にノーフォークへ帰還した。 カリブ海での訓練演習が8月21日に終了した後、レイテは9月3日に5度目の配備が行われ、第六艦隊に合流するため出港した。12月21日にはノーフォークに帰還、ハンプトン・ローズに向かい、1952年8月29日に再び地中海に向かう。1952年10月1日に CVA-32 と艦種変更され、レイテはモスボール処理のため1953年2月16日にボストンに向かう。しかしながら8月8日に再就役し、同日 CVS-32 へ再度艦種変更される。レイテは対潜水艦作戦支援空母として転換作業が始められた。 転換作業中の1953年10月16日の15:15にカタパルト機械室で爆発事故が発生する。数分の内に基地及び市内の消防車が到着し、激しい消火作業の後19:57に鎮火する。火災の結果37名が死亡し28名が負傷した。 転換作業は1954年1月4日に完了する。レイテは第18空母部隊の旗艦としてロードアイランド州クォンセット・ポイントに向けてボストンを出港した。レイテは5年間にわたって同所から東部海岸沿いおよびカリブ海での対潜水艦戦略作戦を指揮した。 レイテはクォンセット・ポイントを1959年1月に出発し、ニューヨーク海軍造船所で前不活性化オーバーホールを受ける。レイテは再び AVT-10 に艦種変更され、1959年5月15日に退役、フィラデルフィアで予備役艦隊に加わった。その後1970年にスクラップとして売却されるまで同所に係留保管された。 レイテは朝鮮戦争での戦功により2つの従軍星章を受章した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「レイテ (空母)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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